心理師 juneberry’s blog

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父のこと #8空気を読めない読まない

癌末期の父の記録。

幸い父は元気で、実家の庭の手入れをしているらしい。

 

幼い日の思い出。

父は空気があまり読めない。 

でも、読める時もある。 

 

読めていても、自分を主張して空気を崩す時もある。 

「これを言って何が悪い」と言う。 

 

威厳があるというのとは違って 

ちょっと変わっている。 

 

だからといって 

何が悪い訳でもない。 

私が、そして周囲の者が 

少し気持ちが悪いだけである。 

 

 

私が幼稚園くらいの頃(昭和50年頃) 

ある日、父が外国の人を連れて帰ってきた。 

ドイツの人だったような気がする。 

 

祖父母と同居していたが 

記憶をたどれば 

その日は、祖父母がいなかった。 

旅行にでも行っていたのだろうか。 

 

翌日は休日で 

朝ご飯を庭の見える部屋で 

トーストを食べたい、ということで 

 

祖父母の和室の畳の上に、ロッキングチェアと円テーブルを上げ 

客がそれを庭と思ったかどうかは分からないが、縁側を開けて、 

朝食の焦がしたトーストを出していた。

 

今で言う、和洋折衷のレストラン仕様なっていた。 

 

父が「すごく焦げているのがいいらしい」

と母に指示して 

その当時の、飛び出すトースターで 

2回ほど焦がしていた。 

私と弟は、台所で何が起こるのかと

興味深く見ていた。 

 

固い固い、苦そうな、真っ黒の食パン。

 

子どもの私がどう見ても、美味しくなさそうだった。 

 

外国の人って 

「こんなに焦げた固いトーストがいいんだ」と 

奇妙に感じながら見ていた。 

 

 

後に聴いた話では 

当時、独学で英会話の勉強をしていた父が 

近くの観光地へ行き 

観光客に声をかけ、自宅でのホームステイをすすめたらしい。 

当時は、まだホームステイという言葉もなかったは思う。 

 

父の英語がどのくらい通じたのか 

上手いのか下手なのかもわからない。

 

父の仕事は英語の「え」の字もかすっていない事務職で 

当時のNHKのラジオ英会話などで 

勉強していたのだが 

 

いつもニコニコ、ガリガリでヒョロヒョロした

いかにも、日本人らしい父が 

どこの誰かも分からない外国の人を家へ連れてきたのだ。

 

畑をするために、山林を買ったときのように 

やりたいと思ったことへの度胸だけはあると 

今の私になら思える。 

 

その頃のことは、あまり覚えていないが 

きっと、同居の実父母が家を空けるタイミングを 

見計らっていたのだろう。 

 

そして、家に招かれたその外国の人には 

奇妙で親切な日本人が

へんてこりんな「おもてなし」をしてくれたことは 

どう映っていたのだろうか。 

 

その後、手紙が来たとか 

やり取りがあるというような心あたたまる話は 

残念ながら聴いたことはない。 

 

たぶん、つたない英語で 

「焦げたトースト」のように(どう間違っているのかは分からないが) 

訳し方が、ちょっとずつ違って 

訳の分からない「おもてなし」だらけだったと推測する。 

 

その外国の人も気の毒に…。 

 

でも、そこは空気を読まない父なので 

何の心配もいらなかったのだろう。 

 

そもそも 

ドイツ人なら、英語はお互い片言で伝わっていたのだろうか。 

そのふつうではない発想。

「ドイツでは…」という父の口癖は、ここから来たのだろうか? 

 

 

父が亡くなるまでに確かめたいことが 

また一つ増えた。 

 

 

その日のことを思い浮かべると 

出てくる光景がある。 

 これからは英語の時代とよく言っていた父。

私は弟といっしょに 

その客人の前に立たされて、あいさつさせられたのだが 

 

「ほら、あいさつして、英語で」と父がせかした。 

 

「グッドモーニング、マイネームイズ…」 

 

その時の、嬉しそうな父の顔は今でも忘れられない。 

そして、その時の父は私たちの未来に、何を見ていたのだろうか。