心理師 juneberry’s blog

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具体と抽象を行ったり来たり

f:id:juneberry-miyatomo:20210501090256j:plainここ1年、具体と抽象を理解しました。

これは、結構大きな出来事でした。

そして、読書をするようになると
具体と抽象について書かれているものは、意外と多かったです。
みんな知ってたんだ…って感じでした。

思い起こすと
講演会などでの、分かりやすいお話は
だいたいが、具体と抽象を行ったり来たりしてくれていると言うこと。

今日の話よく分かった!と思える人のお話には
具体例がたくさん盛り込まれていたり、例え話が豊富です。
その具体例によって、とても印象深く残りますね。

私もマネしてみましたが、それほど簡単ではなかったです。
インプットだけで自分の中で分かった、と思っている時って
具体のイメージか、抽象的な軸の部分かどちらかのことが多くて
行ったり来たりしようと思うと、どちらかがスッと出てこない…

一方だけでなく、両方に行き来できないとダメだな、と感じました。

それと、具体例や例え話は
一つだけではなく、いくつかあげられていると言うところも
なかなか、スゴいなと思います。

やってみて、実感しましたが
具体例や、例え話をいくつかあげるって
そのことを抽象度を上げて理解できていないと、簡単でない。

分かっているんだけれど(分かっているつもりだけど)
ある一面からだけ、だったりするんですね。
そこで、自分って薄ぺらいな、なんて思えました。
そういう工程をたどって、記憶の定着があるのだと実感です。

だから、この「行ったり来たり」は本当に尊敬しています。かっこいいです。

学生の頃、個人経営の居酒屋を手伝った時に
言われたことを思い出しました。

「君は絶対に、見本を一回やってみてください、っていうなぁ」

自分では、まったく意識していなかったのですが

その店主のおじさんが
焼き鳥の肉のさし方とか、冷奴の上の鰹節の掛け方とか
なんでも、色々な場合分けについてまで、口で説明してくれるのですが

まだやったことない、見たことのないものの話って、分かりにくかったのと
なにより、言いやすい優しいおじさんだったので
確かに、見本をやってもらっていました。

具体的なものを見て、それから抽象的な話を聞くと
ずいぶん頭に、入りやすいです。
それは無意識で、昔から感じていたことのようです。

あと何日か前に、神話の話がありましたが
昔の人って、神話や例え話を使って
まだ、本が多くの人に届かなかった時代に
人としての生き方を上手く伝えた、記憶に落とし込んだものなんだな
とつくづく思います。

私は中国の古典の、易経というものを
ちょっとかじっているのですが(占いではないです)
人の生き方や、人のあり方を例え話で教えてくれます。

それが、紀元前から来てると思うと
抽象と具体って、人にとって本当に普遍的な考え方だな、と
だから、記憶に残るんだな、と思いました。


抽象度が高くて分かりにくい内容、

例えば、資格試験の内容や、日常生活の中では、〇〇のやり方みたいなものは、ググってみたり、YouTube見るととても具体的で「なるほど〜」と思えて理解が進みます。


逆に、抽象度を高めることは…読書からかな。

書籍に、今までのいくつかの経験裏付けるような記述があると「まったく違う事柄のようだけど、同じ事だったんだ…」と思えて、ストンと落ちることがありますね。

 

 

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