身体化された知性
ピンとくるようで、まだボヤッとしています。
これかな…と思ったこと。
子どもが大きくなってくると「わかってる」
といいう言葉を使うようになります。
でも、親が小言を言ったときに出る
「わかってる」は
親からすれば「わかってない」です。
これは身体化されていない知性なのでしょうか。
それかもっと、頭でわかっていても
例えばゴルフの理想のフォームは
イメージとして頭には入っていて、見本にしているけれど
実際、それを自分で真似することができていない…
みたいな感じなのかな。
これも、情報だけでなくいろいろ自分の身体で感じながら
身体化された知性をイメージできるのかな、と思っています。
自分の言葉で説明できないことが「わかる」ときって
頭の中だけではない、何かのきっかけがあるように思いますので。