見えていること
5,6年前、東京で
「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」に参加した。
ダイアログ・イン・ザ・ダークとは
完全に光を遮断した”純度100%の暗闇”の中
視覚障害者の案内で
視覚以外の様々な感覚やコミュニケーションを楽しむ
ソーシャル・エンターテイメントのこと。
100%の暗闇で
生まれてはじめて、視覚のない世界を体験すると
分からない…という不安だけしかない。
楽しむなんて、とんでもない。
少し移動するにも、何かにつまづきそうで本当に怖い。
ちなみに、家庭での夜の暗さは何となく物陰が見えたり
どこかの光が入っていたりで、100%の暗闇ではない。
100%の暗闇とは、真の暗闇である。
ダイアログ・イン・ザ・ダークでは
見ず知らずの5.6人がグループになり
担当アテンドが着く。
アトラクションの中の様々な場所へ移動し、楽しむ。
もちろん、すべて100%の暗闇で。
喫茶店では、こぼしてしまわないよう恐る恐る飲み
はじめて出会った人たちなのに
いろいろな話ができた。
グループのメンバーは、見た目には
若くて、今風のおしゃれな女子の2人など
とにかくみんな若かった。
きっと、私は「おばさん1人」と認識されただろう。
そんなメンバーとアテンドの方とで
暗闇でお茶を飲みながら、あれやこれやを話した。
声だけで、若さも見えないので
「こんなこと若い子に言ったらどう思われるだろう…」など
余計なことを考えずに
思ったことをストレートに話せて
若い子のバイトの話で盛り上がった。
最終地点に向かうと
終わりは呆気なく、暗闇はなくなった。
多くの視覚情報の中で生活している私たちは
すーっと正しく元の世界へ戻る。
視覚情報の溢れる世界。
それと同じくして
さっきまで確かにあった、心通ったような感覚は
ふっと消えた。
暗闇で、盛り上がったメンバーだけど
明るくなった今、若い化粧をしたおしゃれ女子に話しかける勇気
おばさんの私には、ない。
同じである、と言う土台がなくなった感覚。
見えることが障壁。
私たちは、見えるモノで着飾り
見えるモノで、ごまかしてもいる。
きっと、自分がもっていないモノを
見えるモノで補っている。
しがらみのない中で、着飾らず話せたこと。
そのあと、心に残ったもやもや感。
全部、たった1時間半の出来事。
見えていることは、私たちの鎧なのだろうか。