心理師 juneberry’s blog

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自分のモデルと偶然からの人生 

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自分が必ず幼少期に育った生活レベルを落とさないぐらいの収入を得られるようにする

これは潜在的に、私の中にもあった感覚。

私は、自分のモデルとなる母親が偶然、専業主婦だったので
人生の目標はいつの間にか専業主婦であって
そういった生活ができるように
生活レベルを落とさないくらいの年収を得られるように
という企てをいつの間にか、もっていました。

それは自分が頑張ると言うよりも
「いい人を探すという」昔ながらの考え方です。

当時は「男女雇用機会均等法」施行後ではありましたが
企業での女性の採用の大半は一般職で、私もそうでした。
まだまだ、女性の25歳という年齢が意識されている時代でした。

偶然からのお見合いも、結構しましたが
やっぱり、そこに価値を私はあまり見いだせずに
結局、そういった価値観とまったく違った世界の夫と
29歳で結婚、30歳で出産しました。

でも、母親からの
「共働きで、子育てを疎かにするの?」
「裕福じゃないと専業主婦にはなれないでしょ…」
といった圧力に負けたくなくて

「分相応な生活さえしていれば、専業主婦ぐらいできます」
「あなたよりも、心豊かな家族をつくってみせます」
という強い思いをもって、やってきました。

でも、そこでいろいろな思いが出てきて
子育てや育てられてきた方法に対する疑問など
噴出しますが、今回は置いといて。

それとともに
どこかに属して私も「働きたい」と
強く思うようになりました。

専業主婦は、どこにも属していなくて
特に評価もなくて、今までずっとどこかに属していた私は
属していないことに対して、少し不安な気分になりました。
子育てが評価みたいになって
だから、私の母親は子どもの教養や育ちや学歴を
一番、気にしていたんだ、とも実感しました。

それからは、いろいろな偶然が重なって
今では、20代、30代の頃には考えもしていなかったような
しっかりと自分が働く生活を送っています。

でも、専業主婦になっていなかったら
ここまで、働くことへの強い熱意は湧いてこなかったですし

お見合いもたくさんしたけど、その上で自分で決めたことだから
「もし、あの時代に3高と言われるような人と結婚していたら…」
と本気で後悔することもありません。

ただ「どうなってたんだろうか?」と、人生の選択肢の幅を感じて
夫と笑い話をしていることはあります。


でも「自分が必ず幼少期に育った生活レベルを落とさないぐらいの収入を得られるようにする」
これは結局、人の根底に基準としてあるように思います。
心の奥で、それを目標としてきていたと思いました。


歳をとって思うことは、若い頃は頭が固かったな、ということ。

自分の人生の目標を、自分で決めていいということが
自分で受け入れられれば
そこへ向かってくる、いろいろな偶然も
受け入れられるようになった…

という感じです。
でもこれは、少し分かりにくい表現ですね。