心理師 juneberry’s blog

読みたい本が見つかる

今までに、自分の間違いを認めたこと

子育てについて、間違いを認めた経験があります。

今日は自分のために、書かせてもらいます。 
長男を、3歳くらいまで、自分がしてもらったように育てていたのですが、自分でもこんな小さい子に厳しいな、と思いながら、親の言うことを聞かせていました。 
そこで、自分の心の奥にあった気持ちが爆発し、私が育てられてきた環境は厳しかったし、私はそれをしたくないと思いました。 
思えば、先週の我慢が恨みに変わった瞬間かも知れないです。(これも短絡的ですが) 
それから、いろんな本を読んだり、話を聞きに行ったりしながら、やっぱり自分がやっている、親の言うことを聞かせるだけの子育て方法は間違っている、と思いました。 
それが長男が3歳くらいの頃です。 
でも、私も子育ての正解を見たことなかったですし、自分が今まで大人になってきた経路をとりあえずのモデルとするしかなく、いろいろな話は聞くけれど、罪悪感を持ちつつ実践できなず、モンモンとしたまま長男は4,5歳になっていました。 
その頃に出ていた講座の先生に、子どもを褒めることを教えていただきました。ダメだししかしていなかった私にとって、はじめは褒めることは慣れず、とても気持ち悪かったですが、ちょっとずつ褒められるようになりました。 
でも、感情的になると、余裕がなくて親の言うことを聞かせるという部分が出ていました。 
その頃は、私もどうしたらいいのか、自分の感情を抑えられない感じがありました。 
私の思いとしては「私はあれほど厳しくされたのに、なんで子どもには優しくしなければならないの」私に優しくしてくれる人はいなかった、という思いでいっぱいでした。 
 
でも、親の子育て方法が間違っていたということは、自分でも分かっていたので、私がやるべきことは、長男に対して、そうでない方法で接すること。そこまでわかっているのですが、まだ感情が邪魔してました。 
そんな葛藤を引きずりながら、凝りもせず小3から塾へ行かせました。「勉強はできた方がいいし、今しんどくても、あとで長男のためになる」という親の思いだけです。 
楽天的な長男でしたが、5年生くらいになると、勉強もしなくなり、それを必死でさせる、とても恐ろしい親になりました。心ではどこか違うと感じていましたが「この中学受験さえ乗り越えれば…」という思いが強くて、子どものためだとか、人生が変わるとか、 
まさに、自己正当化バイアスが働いていました。 
そして、息子は何度か家出をして(近くの公園にいるくらいでしたが)やっと、これは間違っていると、やっと認識できました。 
それからもすぐには、すべてを受け入れられる母親になったわけではなかったのですが、中学時代は、本当に息子のしたいように、任せて選ばせて、とりあえずは、できるだけノータッチでいるようにしました。それが、その時の最善でした。 
小学校時代は、口もきかなかった息子が、中学高校と年を重ねるごとに、親とよく話すようになってきました。もともとおしゃべりな息子だったようです。 
 
その後も、高校入試の時に、私はまた懲りずに、やってしまいました。大学のついた高校への進学を勧めました。息子は勉強をするのがそれほど好きではない、ということがよくわかったので「それなら、楽に上へあがれる方が…」とまた、考えてしまったんです。 
息子は「そんな大学には行かへんぞ」と言いながらもその高校へ入学し、言葉通り、そんな大学には行かなかったんです。 
言った通りなので、仕方がないのですが、3年の間に変わるかな、とかまた、私のいいように考えてしまっていました。 
結局、親が子どもの思いを無視して何かをしようとすることがダメだ、とわかっているのに、また「よかれ」と思ってやってしまったんです。 
それで、今度こそ、息子の人生を自分でコントロールしようという企てからすべて手を引くこと決めました。 
どんなことになっても本人の選択を優先する。なかなか難しいことですが、私にはこれをする以外には方法はないと思いました。 
それで、長男の希望通り、私の実家での浪人暮らしをしたのですが、途中からは予備校にすら行かなくなってしまいました。でも、結局ここで手を出したら同じことになる、手放そうと思って、めちゃくちゃ言いたかったけれど放っておきました。(実家だったので離れていてよかったと思います) 
心配な日々でしたが、時期がくると長男なりに自分で行ける大学を選んできて、受験し、今通っています。受験期間には、自分の希望と現実とにひとりで悩んでいたと思います。もちろん内部進学できたはずの大学よりも、ずいぶん下がりました。今は、家族内では、それを冗談で話せるようになりました。 
自分では、クソ大学とか言いながらも、だからこそか、勉強は今までで一番頑張っていて、母から見ると充実しているように見えます。あと「うちの家は自由や」嬉しそうに言っています。私も嬉しいです。 
自分が間違っていると思ったのは、長男が3歳のころなので、19年もたってやっと最近よかったと思えます。途中は、迷い迷いで、すぐにいいことなんてなくて泥臭いことばかりでしたが、間違っていると思ったことは修正しないと私みたいな大人になってしまう…という気持ちが強くて、なんとか修正できました。 
やっと、長男の人生に口を出さないでいられるようになりました。自分の足で歩いていけるようになったともいます。息子も、私もです。 
きれいなことしか書いてないです。また、次男には次男のストーリーがあります。 
自分のために書かせてもらいました。