心理師 juneberry’s blog

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見えないやさしさ、慮ること

私は、土日の公共交通機関では
「座らない」と決めていました。

きっかけとなった出来事は
一度は、バスでおじいさんに見える人が
ヨボヨボと乗ってきたので
「どうぞ」と言ったのですが
「すぐですから、いいです」と言われて座席に戻りました。
断られたことに対しては、全然、気にしないです。

また、次にお年寄りと思われる方が乗ってこられたので
「どうぞ」と言いました。
「大丈夫です」と言われて、また戻りました。
別にいいのですが…

また次に、おじいさんが乗ってきて
(次の人は座りたいかも知れないし…)と思ったのですが

やっぱり(と言うか)
「どうぞ」「いいです」となって
さすがに、同じバス内で3回断られると
ショックでは、ないのですが

初めから、声かけなかった方がよかったのかな‥
いや、それは自分が嫌だし…
といろいろ考えて、どちらかと言うと反省をして

それからは、いろいろがちょっと面倒くさくなって
土日の公共交通機関では
「座席に座らない」と決めました。

でも、コロナが流行ってからは
電車やバスが、ガラガラに空いていることが多かったので
少し座るようになりましたが。

席を譲る行動は、自己満足でやっていることなので
相手の反応として、何がかえってきても仕方がないと思っているので
相手に対してや、自分がしたことに対しての後悔はないですが
人が何をしてほしいと思っているのかは
なかなか、分からないものだな、と思います。

逆の立場からの話を聴いたことがあります。
同年代の全盲の知人と
初めて、居酒屋で食事の席に同席した時のことです。

見ていると
友人は、次々と運ばれてくる料理を簡単に説明して
醤油は、この位置、お箸、箸置き、ビールの入ったコップと
さらっと説明し
それを「ふんふん」と聞いている感じでした。

新たな食べ物が運ばれてきた時
友人がいなかったので、私が伝えると
(オドオドしていたんだと思いますが)
「そんなに気を使わなくても大丈夫ですよ」と言ってくれました。

私の緊張が伝わってしまいました。

そこからは、いろいろな話をして
すごく初心者みたいな話だけど
街で、視覚障害の方を見かけたりした時に
私たちはどんな風に接したらいいんしょうか…と尋ねました。

「困っていなかったら、何もしなくてもいいです。」

当たり前のことですよね、バカな質問をしたものです。
「でも」と言って続けてくれた内容は

「駅などで、声をかけてくれる人がいるんだけれど
そんな時には、ありがたくホームまで送ってもらったりします」
「もし、そこで自分が断ってしまうと
その経験から、他の視覚障害の方が困っている時に
声をかけないかも知れないから…」

というようなことでした。

その知人は、毎日私鉄を乗り継ぎ、最後にはバスに乗って
何年も、通勤をしているので
駅で困ることは、まずないんです。

人が何をしてほしいかは
言わないと、伝わらないものだけど

見えないところで
まだ見えない相手を慮ることって
世の中にはたくさんあるんだろうな
とその時、感じました。