心理師 juneberry’s blog

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やなぎのようにしなやかな心

私が、証券会社へ入った1993年当時は
バブルが弾けてしまっていたので
よく、裁判という言葉を聞きました。
「知らないうちに損をしていた」とか
「そんな説明聞いてない」ということだと思います。
(たぶん。)

幸い私は、関わったとこはないのですが
そういう環境にいると
テレビの中だけでなくて、裁判ってあるものなんだ…と知りました。

そして、真っ当な仕事をしていれば、怖くない。

そうでなければ(説明してなかったり、誤魔化していたりすると)
少なくとも裁判が終わるまでは、人事部付きに。
「負ける裁判」と会社が判断すれば、こちらに落ち度がるということで
すぐに、どこかへ隔離される…みたいなイメージでした。
30年くらい前の話です。

その経験から、自分では体験してはいないのですが
「裁判」という言葉への抵抗はなくなっているようです。

そして、どんな仕事をしていいても、いつの間にか
裁判になったときに説明がつくか、記録はしているか
という視点で、物ごとを見るようになっていました。

新卒で入った会社で、経験したことは
ひよこが、殻を破って外界を見た時のように
すごく印象深くて、染み付いています。

その頃、一つ上の先輩が
どんなトラブルが起こっても、クレームが来ても
柳のように、とてもしなやかでした。
愚痴は言うけれど、折れません。

その当時の私は、羨ましいけど
自分の意見がないように写りました。
(信念や意見は持っておられましたが、それはそれとしていたようです)

でも、今なら「柳のようなしなやかさ」って
生きていく中ですごく大切だったんだな、と思えます。

次男が中学生の頃
何の話か忘れましたが、私がちょっと落ち込んでいる時に
LINEで

「しなやかな心」

と返してきました。
どこで学んだのか、今の子はそう言う言葉が当たり前なのか
親の私が、目から鱗でした。
今の時代の子どもたちに対して、レジリエンスという発想は
いろんなところで、使われているように感じました。